海は、ひとを優しくする。
山は、ひとを強くする。
火は、ひとを賢くする。
すべてがめぐって私となり、
私は自然に生かされる。
「海」




海は、科学技術が発達した現代でも、予測することが難しい複雑系だと言われています。
風、波、地形が相互に影響しあい状態が変化します。
時に荒々しく人を寄せつけないかと思えば、どこまでも穏やかな大海原が広がることもあります。
人間がコントロールできない海。
海に入って全身を包まれると、自分のなかにもそんな自然のリズムが流れていることに気づかされます。
心臓の鼓動、呼吸、自分ではコントロールできない自然の営みが私の肉体を動かしているという事実。
その事実を認識すると、自分もありのままでいいんだと思えてきます。
同時に、他者のこともコントロールするのではなく、
ありのままで受け入れようというマインドになります。
優しさとは、誰かに何かをしてあげるという行為のことではなく、
自然な在り方のことなのかもしれません。
「山」
山には、人間の生活に利用する里山と人が普段立ち入らない奥山があります。
富士山などは、古来人々の信仰の対象にもなってきました。
そんな奥山に踏み入ると、普段当たり前のように使っている水や食料、電気はなく、
天気もめまぐるしく変化する厳しい環境に身を置くことになります。
人間の小ささと無力さ、自然の偉大さと圧倒的な存在を実感します。
テクノロジーやシステムが進化した現代社会では、人間が出来ることは拡張されます。
速く遠くまで移動でき、暑さ寒さにおびえることもなく、
明日の天気や進むべき道もスマホが教えてくれます。
そういったシステムと切り離され生身の能力が問われると、
弱さを知ると同時に、自らが持つ五感の力や眠っていた能力など、
強さに出会うことも出来るのです。
「火」
火を囲むと、不思議と火に見入ってしまうのはなぜでしょうか。
1/fのゆらぎによる心地良さだけでなく、私たち人類の祖先の記憶に関係があるかもしれません。
人類が火を使うようになったのは100万年ほど前。
火は動物から身を守り、暗い闇を照らし、身体を温め、
生のものを焼くことで美味しい食べ物を生み出してくれたと言われています。
火によって自然のものを人間の望む姿に変化させられる術を身につけたことで、文化を生み出し都市を築いてきました。
しかし、こうして様々な恩恵をもたらしてくれたと同時に、環境問題も引き起こしました。
人間の欲望と自然との調和、私たちの本当の賢さが問われています。
「私」

自然を自分と切り離された外部として観察するのではなく、
自分自身もその循環により生かされている一部だという事実を体験を通じて深く認識することは、
幸せな人生を歩む上でも、
地球環境の保全を考える上でも、これからの社会システムを構築する上でも、最も大切なことだと
考えています。